こんにちは。 ブログにお越しいただきありがとうございます。
このブログは韓国人の私が異邦人の視点で、
なかなか見られなかった「世の中否定」という「非常識な考え方」で、
「自由な暮らし」と「世界との繋がり」を目指してます。
このページでは、私の簡単な「プロフィール」と「ブログで扱う内容」を紹介します。
興味のある方は読んでいただければ嬉しいいです。
■ ペンネーム:monowritrer
■ 生年月日:1992年 9月 3日
■ 出身地:韓国 大邱
■ 学歴:慶北大学 社会学科・経済通商学部 卒業 | 延世大学 大学院 社会学科 中退
■ 志向点:自由、幸福、平和、共生、自己理解、哲学的・批判的思考
■ 生きてきた道
□ 大邱 慶北大学 卒業
□ 研究者になろうという思いを持って、成均館大学に入学
□ 兵役義務履行のため、入学と同時に休学し、大韓民国海軍に入隊
□ その後、3年3ヶ月間勤務し、中尉で予備役に編入
□ 中断された学業を続けるために、学校を移して延世大学大学院に入学したが、
学問に懐疑を感じ、すぐに中退
□ その後、韓国の某大手に入社し、営業戦略部署で1年2ヶ月間勤務した後、退職
□ 退職後は長い彷徨と考察の末、自立に挑戦しようと決心
ネガティブな考え方で人生が軽くなりました。
よく、否定的な考え方は悪いことだと話し、肯定的な考え方が正解だと言います。
世の中はあらゆる矛盾と苦痛でいっぱいなのに、世の中を肯定的に眺めるようにだけ言います。
誰にとっても悪い経験なのに、悪い点はそのまま埋めておいたまま、
良い点だけを無理やり引き出して眺めるようにだけ言います。
世の中は私たちにすでに決まったルールにそのまま従うようにだけ言います。
「常識」という名のもとでですね。
ところで、果たして肯定的な考え方だけが正解でしょうか?
世の中を否定的に見てはいけないでしょうか?
小さい私。 世の中を受け入れようとすると、私の人生は重いだけです。
いわゆる「正解」だけを追っていた私は、いつも不安と圧迫感、敗北感に浸っていました。
度重なる失敗と放棄。 今まで人生を振り返り、考えを整理する時間を過ごしました。
皮肉なことに、既存の常識を批判的・否定的に見ながら、むしろより幸せになれました。
驚くべきことに、世界を否定すればするほど、むしろ私の人生を肯定することができます。
既存の常識を破壊すると、妙な快感さえ感じられます。
この意味で私を「否定的楽観主義者」と表現したいです。
考えを整理するまでには、様々な困難があっただけに、
私の発信が、「正解」だけを追って苦しんでいる方々の役に立つようにブログを始めました。
なかなか聞けなかった話をお伝えします。
興味のある方は今後の発信をお楽しみにしてください。
この考えに至るまでの過程を紹介します。
会社を辞めてから、もう3年くらいになった。
会社に勤めていた時、なんとか満足はできた。 経済的にだけ。
見た目にはかなり堅実に見えたはずだった。
振り返ってみると、会社を辞める数ヶ月前から、出勤途中の息が詰まるような日々が続いた。
会社のビルだけが見えるとめまいがした。 呼吸が本当に大変になった。 何ヶ月もそうだった。
オフィスに座ってモニターを眺めていると、文字は目に入ってこなかった。
誰かが私を呼んだり、社内電話が鳴ったりすると、やっと気がついた。
ありがたいことに、周りの先輩や同僚は能力あり、良い人達だった。
仕事に問題でもあるときには、動揺していた私とは違って、
彼らは揺らぐことなく、有能に仕事を遂行していった。
彼らは私が会社で成長した時の私の将来を事前に示していた。
「私が有能になれば、あの場に行けるだろう。」
ところで、申し訳ない話だが、彼らの誰も幸せそうに見えなかった。
一日間、笑顔を見られなかった時も多かった。
役員たちは日が昇る前に会社に出勤し、最も遅い時間に退勤した。
グループトップに報告することでもできれば、自分の人生なんて跡形もなく見えた。
彼らのようになりたくはなかった。
さらに、新型コロナウイルス感染症の事態まで重なったため、大企業だったにもかかわらず、
会社は一部の職員に対する構造調整を実施した。
ある日はよく知っている間柄ではなかったが、
行き来しながら一面識があった部長の席がきれいに空になっていた。
膝下に2人の子供がいて、誠実で、能力もあった。
ただ、その部署の事業性が悪く、事業部門を縮小する過程で犠牲になっただけだった。
部長の年齢は当時40代前半くらい。
私だからといってそうならないという保証はなかった。
私はどうだったかって?
その瞬間だけは、私がその会社で最も不幸だと思った。
午前8時半に出勤すれば、夕方10時を過ぎて退勤することは数え切れないほどで、
残業がいつどのように発生するかは誰も分からず、個人的な人生はあきらめた方が早かった。
「私は一体ソウルという客地でなにやってるんだろう、、、」
私の人生の自由なんて跡形もなかった。
それで退社した。
実はその前は大学院を2回も辞めたのだが、また辞めてしまった。 (笑)
とにかく、退社してから体は元気になった。
それでも心はいつも空虚で寂しかった。
最大の問題は、人生の目的や意味を見出せない、いわゆる『実存の問題』だった。
そこで「一体人生の意味は何なのか? 」、
「どう生きるべきか? 」という質問を自分自身に投げかけた。
そのように、1年以上答えを探すための時間を完全に過ごした。 ゆっくり療養もしながら。
誰かは世間知らずの暇人だと皮肉るかも知れないが、
本当に、この1年は、その過去30年よりもはるかにやりがいのある時間だった。 心から。
ひね臭く聞こえるかもしれないが、
悩んだ末に見つけた自分なりの答えは;
・人生の意味なんてない。
・どう生きるべきだという方法論などもない。
・世の中に決まったことなんて何もない。
・そもそも決まったことが何もないので、
意味でも何でも探そうとしても見つからなかったということ。
そんな世の中で「私はどこにも束縛されずに、本当に自由に過ごしたいんだ。
それでもその中で寂しいのは嫌だから、他人と適当につながって生きたい。」ということだけが、
私が本当に望む人生だった。
またその方法はすぐに実現できて、簡単で、劇的なものでなければならないということだった。
皮肉なことに、世界と私たちの人間がでたらめであるという事実を知るだけでも、
途方もない慰めになる。
この事実に至った後、私は、少しの誇張もなく、全く異なる人格と価値観を持つようになった。
今でもまだ足りない者なので、成功や名誉、富などの社会の長い基準は私を苦しめる。
しかし、もはや以前ほど苦しくはない。 人生は以前に比べてはるかに軽くなった。
身体的・精神的にも見違えるほど健康になったのはもちろんだ。 (最近はうつ病の薬もやめた! )
世界と私たちの人間は、私たちの考えよりもでたらめであることを知っているからだ。 (笑)
そういう情報や知識を整理しているうちに思ったのは、
「現実の問題で苦しんでいた私が、いろいろな悟りを得て少しは幸せになっただけに、
これらをもう少し簡単な方法で同じ問題で苦しんでいる人たちに伝えれば、
彼らにも役に立つかもでは?」 ということだった。
ちょうど、私は大学で社会学と経済学を専攻した。
比較的昔から自ら自由への渇きを抱いて、
かなりいろいろな種類の人文図書を読んだ経験があるので、
他の人はなかなか触れられなかった「様々な考え」に触れる経験が多かった。
そのおかげで、私たちの人生や社会がどのように作られ、維持されているのか、
つまり最近の言葉で「なぜ私の人生がこんなに最低なのか」説明するのに
卓越した知識を備えるようになった。 (笑)
それに、普段文章を書いて、情報を整理して、伝えるのが好きだったので、
ブログほど効果的な手段はなかった。
これが私がブログを始めた理由だ。
心から私が以前より少しでも幸せになった理由は、「非常識な考え方」のおかげだ。
幸福に至るには複雑な手続きや資源は要らない。
真実を知った瞬間、すぐに私たちは幸せになれる。
本屋に敷かれそうなベストセラーの安っぽい慰めなんて拒否する。
世界を否定すれば否定するほど、むしろ私の人生を肯定することができる。
私の発信がたった一人の誰かにでも伝わり、
「自由な暮らし」と「世界との繋がり」のきっかけになれば、これ以上望むことはないだろうと。
ブログのテーマが「非常識な考え方」で「自由な暮らし」と「世界との繋がり」であるだけに、
このブログは、あなたと私がこれに一歩近づくことができるように、以下のカテゴリーで構成されてる。
精神的に自由な暮らしのための土台を築く ;「否定的楽観主義者」
どこかに束縛されて、あくせき生きる理由がない。 そんなふうに生きてはいけない。
私たちを束縛する、目に見えない「モノ」から「精神的自由」を得よう。
世界で最も否定的で破壊的な方法で。
例えば、扱う主題は以下の通り。
・今すぐ可能で、奇想天外で、最高に簡単な非常識な考え方
・賢く他人のせい、世の中のせいにして幸せになる方法
・あの人間が馬鹿になった理由
怠けに物質的生活の土台を立て直す;「怠惰者の自立生活」
精神的自由の可能性を見つけたら、その空白の上に自分だけの人生の土台を立てよう。
ここに定められた様式などは何もない。
ただ、自由な暮らしをより豊かにするためには、十分な物質的基盤が必要である。
もう、私を取り巻く物、環境、お金など、あらゆる「モノ」から物質的自由を得よう。
すぐに実現可能で、簡単で、怠けな方法で。
例えば、扱う主題は以下の通り。
・世界で最も怠けで簡単にお金を稼ぐ方法 → 「怠け者の経済生活」
(詐欺みたいなものでは絶対にない。 経済学理論で科学的・統計的に説明しする。)
・簡素に生きる → 「怠けだから所有しない」
・効率的で生産的な生き方
「新しいスタート」と「繋がり」:「monostep」自分らしい人生へのたった一歩
上記の二つのトピックに関する発信を通じ、あなたに「自由な暮らし」の可能性を伝えたら、
これからは、あなたの自分らしい人生をより豊かにするため、お互い繋がり、共に悩み、成長する。
様々な方法があるだろうが、私が韓国人であなたが 日本人であるだけ、
「言語の壁」を崩すことからコミュニケーションが始まる。
まず、日韓両国に舞台を広げようとしている方のための、日韓翻訳・校正サポートから始める。
今後、様々なサポートを追加する予定なので、お楽しみに。
そんな中、私がなぜ日本人を対象にするようになったのかと?
日本人にとって、韓国人の私は異邦人である。
異邦人は他文化の慣習や礼儀作法、考え方などに馴染みがない。
馴染みがないからこそ、
「これは礼儀がないのかな? 」、
「これは常識に反するのではないか?」、
「このように言ってはいけないのに、、、」という自己検閲からも抜け出すことができる。
そもそも検閲の基準と言えるものがないので、より加減なく私の考えを伝えることができると思ったからだ。
何よりも日本はいつも私にとって韓国と違うこともありながら似ていて、
近いながらも遠く感じられるところだった。
ちょうど、私は偶然のきっかけで日本語である程度のコミュニケーションができるようになって、
少ない経験であるが日本人と交流する時には、何らかの形で新たに感じることが多かった。
それだけに、私が伝える話を、日本人を対象に伝えることほど良い選択肢はなかった。